青野 輝子(あおの てるこ)
1928年愛媛県生まれ
タクシーエッセイスト
元タクシードライバー
- 学歴
- 愛媛県立松山女子師範学校長期講習科卒業
- 講演可能地域
- 全国
- 主な講演テーマ
- 「タクシーおばさんの“ちょっとがむしゃら人生”」
「今日を一生懸命生きる~仕事に男も女もない!」
「苦労している時にこそ知恵は出る~タクシーおばさんの人生応援歌」
「タクシーおばさんの泣き笑い人生~人の情けのふれあいが好きです」
「今日を素適に~襟を正して生きる」
- 主な著書
- 「ちょっとがむしゃら人生」
「タクシーおばさん交遊録」
- 経歴
- 17歳で小学校(国民学校)の教員となり3年間務めたが「神国だ、聖戦だ」と教えたことの自責から、敗戦直後に退職。その後、県庁職員を務め、22歳の昭和21年に単身上京。代議士の書生、銀座のOLを経験。26歳で結婚し1女の母となるが間もなく離婚。赤貧の中で洋裁、和裁、会計事務所の手伝いなど日銭を稼いで子供を育てる。走る車の量が増えたことに気づき、昭和29年に妹の退職金を借りて運転免許を取得、日野ルノーを借金で購入。ルノーの会社に入りたい一心で弁当を持参で座り込み3日目に社長と面談「男に負けない仕事をする」という条件でセールスマンに採用される。子連れの出勤を続けながらも、大学卒の初任給が1万数千円の時代に10万~30万円を得るトップセールスとなったが、10年後にルノーの生産中止に伴い会社を辞める。昭和39年に20社を回り男性の職場であったタクシー運転手に採用され、根気とハングリー精神で初めて走った日から350人いた運転手の中で水揚げはトップ、3ヵ月後には四天王と呼ばれるまでになる。後に個人タクシーの認可を受け、45年間に亘る無事故無違反のタクシードライバー人生を平成20年末に終えた。この間には、昭和48年に個人タクシーの協会を設立して全国で初の女性会長となり、平成11年にはタクシードライバーとして女性初の運輸大臣賞も受賞。平成2年には女性タクシードライバーの草分けとして、エネルギッシュな人生模様を綴った「ちょっとがむしゃら人生」を出版、大きな反響を呼びテレビでもドラマ化された。タクシードライバーの傍ら、テレビ・ラジオの出演や執筆、200人以下の人数ならばマイクは使わないという講演など多方面に活躍してきた。平成17年6月には「日本全国女の音頭」(作詞・作曲/星桂三)で歌手としてもCDデビューした。
【主な受賞】東京都社会福祉協議会会長賞(3回)・運輸大臣賞・杉並区長賞・成城警察感謝状・第4回さいたま輝き荻野吟子賞(平成20年度個人の部)