なべ おさみ(なべ おさみ)
1939年東京都生まれ
俳優・タレント
喜劇役者(日本喜劇人協会会員)
作家・エッセイスト
- 講演可能地域
- 全国
- 主な講演テーマ
- 「人生は50と50~30代までは自分のため、40代からは人のために生きろ」
「私の生きざま論」
- 主な著書
- 『七転八倒少年記』
「週刊大衆」「日刊スポーツ」「夕刊フジ」等でエッセイを長期連載。
- 経歴
- 昭和33年に明治大学入学とともに三木トリロー冗談工房に入る。コント作家のまねごとから三木鶏郎御大の知遇を得て個人レッスンを受けさせられる。その指導者が今の野坂昭如氏である。その後18歳にして家を飛び出し、以来独立独歩、喜劇俳優の道をめざす。新進放送作家としてめきめき頭角を現し、ラジオ番組や週刊誌等の原稿書きをメシのタネとするも、「初心忘るべからず」と作家の平林たい子女史に諭されて一念発起、水原弘の付人となったのは昭和35年4月のことであった。以後、勝新太郎とハナ肇の付人を経験、その間に渡辺プロ社長の渡辺晋氏と知り合う機会を得て、ジャズ喫茶の司会など勉強の場を与えられ、デビュー前にして「東芝ヒットパレード」「平凡アワー」などのラジオ番組のレギュラーを持つ。また、テレビにも「マンデーポップス」の構成とレギュラー出演者として進出。デビューは昭和39年5月1日、渡辺プロダクションに所属し、一本立ちを果たす。以来、名物番組「シャボン玉ホリデー」を皮切りに売れっ子となり、“演技の出来る喜劇役者”として映画・演劇と幅広い活躍を始める。昭和43年に松竹で初の主演映画「温泉ゲリラ」を撮ると映画各社に主演。特に出世作とされる山田洋次監督の「吹けば飛ぶよな男だが」は、今もって名作とされ、寅さんの原点になったと言われている。他、東宝「夕日くん」シリーズの主演など多数がある。舞台では主演した井上ひさし作「たいこどんどん」でゴールデンアロー賞演劇部門新人賞を受賞している。近年は「なべおさみ一座」として全国巡演の座長を3年つとめ、CMにも多数出演している。
明るくひたむきな生き方で、不器用でも一生そうありたいとする性格は少しも変わることなく、デビュー時の若さに溢れている。全国の主婦の味方と自認するまでもなく、若いお母さんからおばあちゃんまでファン層は圧倒的に女性が多い。これからの日本喜劇界にこの人間の役割は大きい。